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編隊 (航空機)[へんたい] 航空機における「編隊」(へんたい)は、航空機が飛行する際に組む隊形。 == 戦闘機 == 戦闘機同士の航空戦は、第一次世界大戦では一対一が中心であったが、飛行機や武器の性能向上と数の増大で新しい傾向が生まれてきた。その一つが編隊空中戦闘の思想である。空戦では各個で行動するが、有利な態勢で空戦を開始するための全体大勢の指導や、終末後の集結帰還の指導が重視された〔戦史叢書52陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで372-373頁〕。 また、編隊の最小単位は3機1組が主流となったが、1938年のスペイン内戦でドイツ空軍コンドル軍団のヴェルナー・メルダースがロッテ戦術を考案したことを端緒に、最小単位を二機一組が主流に変わっていった。 ロッテ戦術では、長機(リード)を僚機(ウイングマン)が援護する形を採っていた。ドイツ空軍はロッテ編隊2個による4機編隊をシュバルムとして構成した。ドイツではロッテ・シュバルム以前には3機によるケッテ編隊が主流だったが、編隊の相互支援はタイミングが重要で、3機というのはそのタイミングを合わせるのが難しかった〔竹内修『戦闘機テクノロジー』三修社13頁〕。このシュバルムが親指を除いた四本指のような隊形となるため、これを模倣したイギリス空軍は「フィンガー・フォー」と呼称する四機の編隊を組んだ〔竹内修『戦闘機テクノロジー』三修社13頁〕。二機一組の二個四機が最少戦闘単位として各国に広まり、飛行隊の定数は四の倍数の12機や24機になることが多くなった〔竹内修『戦闘機テクノロジー』三修社13頁〕。 後に基本の2機をエレメント(分隊)、2個エレメントを1個フライト(小隊)と呼称するエシュロン隊形を採用したアメリカ海軍が1942年に相互支援の戦術として「サッチウィーブ」を取り入れる〔竹内修『戦闘機テクノロジー』三修社12-13頁〕など、編隊による様々なマニューバも取り入れられていった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「編隊 (航空機)」の詳細全文を読む
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